せんねん【千年】
■せんねん【千年】長い年数のたとえ。
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千年前、1017年か。
平安時代。
10年でも長い年月のような気がするけど、10年前から今まではあっという間だった。
でも、それまで彼氏がいたこともなかった私が結婚するぐらいのことは起こる。
きっと10年後もすぐに来ちゃうんだろう。
100年ぐらいならどうかな。
100年前、1917年。ロシア革命の年。
(生稲(イクイナ1917)晃子「ロシア革命」)
一つの国が社会主義国家になって、それが崩壊するぐらいの出来事は起こる。
でもなんとなく、100年後も今とあんまり変わらない姿形をした人間はいるんじゃないかな。
1000年・・・
平安、鎌倉、室町、安土桃山、江戸、明治、大正、昭和、平成。
1000年前の人に『鉄の塊が空を飛ぶ日が来るよ』って言ったって信じないだろう。
鉄の塊が道路を走ることも、土が覆われて見えなくなることも、一人一人が名字を持っていることも、現金を介して物やサービスの交換ができるってことも・・・
今あるありとあらゆるものは、1000年前には想像もつかなかったものなんじゃないだろうか。
1000年後。
私はここにはいないだろう。
今あるものはほとんどここにはないだろう。
想像もつかないような世界がそこにはあるんだろう。
『長い年数』それは「今」基準では想像もつかない年数。
「今」は1000年後基準では想像もつかない日々。
私が今平安の暮らしを思っても薄ぼんやりとしかイメージ出来ない。
写真や映像が残るとしたら、1000年後の人たちはもう少しはっきりくっきりとイメージが付くのかもしれないけど。
それでも絶対に1000年後には伝わりきらないものがある。
「今」にしかないものがある。
長い年数をかけると薄くぼんやりとしていくものを私は色濃く感じたい。
言葉にするのが難しいけど。
熱気とか、色とか、匂いとか、衝動とか、血とか涙とか、愛とか、悲しみとか・・・
長い長い年月の間の「今ココ」に今自分がいるということは
毎日確かに噛み締めたいのです。
1000年後の人たちには味わえない「今」を。
彩度と鮮度と血圧はいつも高めに設定しよう。