じゆう【自由】
■じゆう【自由】
🅰他から制限や束縛を受けず、自分の意志・感情に従って行動する(出来る)こと。
また、その様子。
🅱民主主義社会において認められている権利の一つ。社会秩序を乱さぬ限り、その人の主体的な意志・判断に基づく言動が認められていること。
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他からの制限や束縛か・・・
他からっていうのは何のこと?
子どもの頃なら親とか学校か。
昔はよく言われたなぁ「ああしなさい、こうしなさい。」
「宿題しなさい」「それはやっちゃダメ!」・・・
大人になるにつれ、「こうしなさい!」と制限されること少なくなってきたなー。
それでも「自由」にできない一番の理由は「常識」とか「世間体」とかなんじゃないでしょうか。
目に見えない「正解」に制限されて束縛されて、自分の意志や感情に従って行動しない(出来ない)でいる人多いんじゃないかと思う。
私もそう。そんなとこいっぱいある。
でもさ。
その「正解」に制限されるかされないかも、束縛されるかされないかも自由なんだよな、本当は。
「正解」に束縛される方を選んでる理由があるんだよなきっと。
見えない「正解」風に過ごすことで自分が得することがある。
みんなと一緒ってなんか安心するもんな。
それが日本で受けてきた教育の賜物。
「みんなといっしょ」
それを選びたければ選んだらいい。自由だもの。
「正解」を求めたいのって
自分の意志や感情を出してくるのが怖いからなのかもしれない。
それだけ守りたい自分がいて、それだけ強い意志や感情がある。
意志や感情を出してきて、否定されるのが怖いから
「これぐらいだったら正解に近いだろう」ってとこまで頭で考える。
それどころか、自分の意志や感情、どっかに置き忘れてきてることもあるよね。
そっちの方が自分の意志を通そうとすることよりも、自意識過剰なのかもしれんよな。と今思った。
私は今、自分と向き合おうとしています。
なかなかしんどいです。怖いです。
でもこの身体に宿った魂みたいなものに従ってやろうと思うのです。
意志を感情を研ぎ澄ましたい。
私にとっての自由はそこで、大切な人にはそれをきちんと伝えたい。
今の一般常識とは離れているところもあって(自覚できる)、
もしかしたらそれは人を傷つけるかもしれなくて、
もしかしなくても無責任だと言われることもあって、
嫌われることもあるのかもしれない。(嫌われたくはないです)
でも、それが自分。
コロコロ変わる自分に責任を取るしかないのです。
それが私の決めた「自由」
もっと自由な世の中になればいいのになぁと思う。
自分をそんなに守らなくても、大丈夫って安心できる世界に。
私の正解はこれで、あなたの正解はそれで、「合わないね」って笑える世界に。
そのためにはきっと、
自分が自分である必要がもっとあるんだよな。
意志と感情が湧き上がる身体。
意志と感情に従う勇気。
「自由」であるってけっこう、体力がいる。